印象がすごくよくなる
ムラサキツユクサは、放射能を敏感に感とり、雄しべが、放射線があたるとピンク色に突然変異するそう。原発の周辺にはたくさん植えてあるらしい、我が家にあるのは、たまたまかな。午前中は咲いてるけれど、昼を過ぎるとしぼんでる咲く時間は短いなぁ。家のは真ん中あたり繊毛状の雄しべが、ピンクに変ってない、放射能の影響はないようだ。

今年の門扉前、シャクヤク

散歩から帰ると、塀の上で泰山木 (たいさんぼく)が咲いてるのに気づく。

クレマチスは、重なりあって咲かないほうがきれいだと思う、重なり合う白いのはヒトデみたいに感じる。ツキヌキニンドウ。

ピラカンサスの花は、黄色い実、赤い実も花は同じようだ。 グズの花。 車輪梅。

玄関前、五葉の松。

ーーーーー
四国半周 ⑬ 現存天守 重文 宇和島城
〇の中の数字はいくつになるのか分からないので後でいれることにする。
東北の旅行を先に記事にしてほしいと要望があったので、四国半周の足摺岬など、後回しになるが、宇和島城だけは、先に記事にしたいと思う、なぜなら東北の旅行で訪れた弘前城、12現存天守の最後の記事は、桜が満開時の弘前城にしたいから。
ビジホの朝食は、昨日の夕食とW部分があった、笑。この日は便通が少し変だなと思い、チェックアウトしないで歩いて宇和島城に向かう、8時前、少々早いかなと思いつつ、宇和島城ずたいに周って入り口を探す、宇和島の町の中心街だろうか、過ぎると藩家老桑折氏武家長屋門(移築)があり、そこが登城口になっていた。

長く続く石段を息をきらせながら上がると井戸丸櫓門跡、近くに倒れてた老木に歴史を感じた。

井戸丸跡から、更に天守に向かいあがると、高い石垣とともに

鶴島城の別名をもつ現存天守 重文 宇和島城は
1601年(慶長6)に藤堂高虎が築城し、のち1615年仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が10万石で封じられから伊達家9代の居城になった。
城地は不等辺五角形になっているそう。これは記事にしていて、下城したあと城を一周するのだが、角を4つ曲がっても、一周する最初の場所の風景が見えなかったので、不思議な感覚があったのを思い出した。

カノンさん教えていただいた本、歌舞伎役者「三津五郎城めぐり」で宇和島城の写真と同じ場所(二之丸二之門跡から見た石垣越しの天守)からも撮っていた。
一之御門跡から本丸にあがる、御大所跡(御台所)、鉄砲矢倉跡

咲き始めてた桜と天守、朝の逆光になる。

天守の中を見れるのは9時からだった、散策してると8時20分だろうか、係りの人が出勤「10分ぐらい待ってて、すぐに用意するから、この辺りにいてください、声をかけるから」、わっ優しい素晴らしい人だと思った。四国の方、宇和島の印象がすごくよくなる 笑。その間、天守の屋根、シャチ、

桜ごしの天守の横など写す。

天守の石段から天守に、中は角柱が多く意外と明るい、下手な展示物などなく、

階段も天守のわりに緩やかだ、最上部にあがり、市街地の景色

天守からの宇和島湾。

少し腹具合が、トイレは、城山郷土館になってる三之丸に建てられた武器庫で、現存例の少ない稀少な建物、穂積陳重 八束兄弟生家長屋門にあるそう。城山郷土館中の展示物は

子供の頃、手伝いなどで見たことある、懐かしい品々が、登城した入り口から城を一周にあったマンホール蓋は闘牛。

もう一つの登城口 宇和島城上のぼり立ち門(現存)

これで現存天守12の内10を登城、残りは松本城と弘前城。



今年の門扉前、シャクヤク

散歩から帰ると、塀の上で泰山木 (たいさんぼく)が咲いてるのに気づく。



クレマチスは、重なりあって咲かないほうがきれいだと思う、重なり合う白いのはヒトデみたいに感じる。ツキヌキニンドウ。



ピラカンサスの花は、黄色い実、赤い実も花は同じようだ。 グズの花。 車輪梅。



玄関前、五葉の松。

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四国半周 ⑬ 現存天守 重文 宇和島城
〇の中の数字はいくつになるのか分からないので後でいれることにする。
東北の旅行を先に記事にしてほしいと要望があったので、四国半周の足摺岬など、後回しになるが、宇和島城だけは、先に記事にしたいと思う、なぜなら東北の旅行で訪れた弘前城、12現存天守の最後の記事は、桜が満開時の弘前城にしたいから。
ビジホの朝食は、昨日の夕食とW部分があった、笑。この日は便通が少し変だなと思い、チェックアウトしないで歩いて宇和島城に向かう、8時前、少々早いかなと思いつつ、宇和島城ずたいに周って入り口を探す、宇和島の町の中心街だろうか、過ぎると藩家老桑折氏武家長屋門(移築)があり、そこが登城口になっていた。



長く続く石段を息をきらせながら上がると井戸丸櫓門跡、近くに倒れてた老木に歴史を感じた。



井戸丸跡から、更に天守に向かいあがると、高い石垣とともに



鶴島城の別名をもつ現存天守 重文 宇和島城は
1601年(慶長6)に藤堂高虎が築城し、のち1615年仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が10万石で封じられから伊達家9代の居城になった。
城地は不等辺五角形になっているそう。これは記事にしていて、下城したあと城を一周するのだが、角を4つ曲がっても、一周する最初の場所の風景が見えなかったので、不思議な感覚があったのを思い出した。

カノンさん教えていただいた本、歌舞伎役者「三津五郎城めぐり」で宇和島城の写真と同じ場所(二之丸二之門跡から見た石垣越しの天守)からも撮っていた。
一之御門跡から本丸にあがる、御大所跡(御台所)、鉄砲矢倉跡



咲き始めてた桜と天守、朝の逆光になる。

天守の中を見れるのは9時からだった、散策してると8時20分だろうか、係りの人が出勤「10分ぐらい待ってて、すぐに用意するから、この辺りにいてください、声をかけるから」、わっ優しい素晴らしい人だと思った。四国の方、宇和島の印象がすごくよくなる 笑。その間、天守の屋根、シャチ、



桜ごしの天守の横など写す。

天守の石段から天守に、中は角柱が多く意外と明るい、下手な展示物などなく、



階段も天守のわりに緩やかだ、最上部にあがり、市街地の景色



天守からの宇和島湾。

少し腹具合が、トイレは、城山郷土館になってる三之丸に建てられた武器庫で、現存例の少ない稀少な建物、穂積陳重 八束兄弟生家長屋門にあるそう。城山郷土館中の展示物は



子供の頃、手伝いなどで見たことある、懐かしい品々が、登城した入り口から城を一周にあったマンホール蓋は闘牛。



もう一つの登城口 宇和島城上のぼり立ち門(現存)

これで現存天守12の内10を登城、残りは松本城と弘前城。