後始末は、キチンと
前記事のトマトピューレーを、冷凍し、小分けてラップにくるんで、再冷凍します。その時に2かけらで、お昼の、しろ風海鮮パスタを作ってみました。うっ 旨いことにしとこ 笑
材料、小海老、貝柱、シャコ、玉葱、ピーマン、トマトピューレー、ニンニク、オリーブオイル、塩コショウです。ピューレー自体に味がついてるので、味付けは、気持ちだけ。

カヤツリグサは、シロのお気に入りみたい、食事の前に、よく舐める。昼は木陰でだらけてるが、夕方、涼しくなると、キリリとしている。

夕暮れ時、蝉が3尾いた、アブラゼミとクマゼミ。自分の子供の頃は、小さいニイニイゼミが沢山鳴いてたが、自分の地域では全然見なくなった、温暖化のせいだろうか。

シロのトイレに、河川敷で採ってもよい砂を入れた、コレで、ウ〇チも処分しやすくなり、清潔になるだろう。
早速、喜んでいるようだ いつも「後始末は、キチンと」しているな~!笑。見習わなくては、
後で掘り出し、畑に埋めている 汗

ーーーー
豊臣秀吉が3万の大軍で攻めた、備中高松城跡を見に行こうと、車を走らせていると、デカイ鳥居があった。自称、日本三大稲荷と下にある案内板に書いてあった。備中高松城跡を見た後に行ってみよう。
高松城は、秀吉が水攻め中に、信長が本能寺の変で殺され「中国の大返し」をした城です。城主 清水宗治は、城兵の命と引き換えに切腹しました。
備中高松城跡は、自分の想像してたのとは、大きく違ってました、石垣が見当たりませんでした。石垣は築かれず土塁によって築城されていたそうです。城跡周りには、蓮池があり、ハスの花の蕾みはたくさん、

蓮花は、

中央の黄色の部分は、花床(かしょう)花托(かたく)頭花の、小花をつけるところ
咲き誇っていたよ。

蕾みの写真に、ボンヤリと写ってる、小さな橋を渡ると
「浮世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して」
の、辞世の句を残し、3000名あまりの城兵の命と引き換えに自害した、高松城の城主、清水宗治の首塚があった。城跡をでると、遠くに最上稲荷鳥居がみえる。蓮池には花床の残骸がたくさん。

備中高松城跡から

同名 四国の高松城(玉藻公園) に、行ったことあります。
車で5分位かな、最上稲荷に着いた。駐車場は広いのがアチコチにあるが、がらがらだった月曜日だからだろうか。ここは日本三大稲荷だそうだが、後で、ウィキペディア調べたら三大稲荷は、たくさんあった、地方地方で決めてるからだ。 でも、此処は岡山で一番参拝者が多く、初詣では、駐車待ちが数時間かかるそうだ。参道に入ると、両側に、プレハブのお土産屋さんが並んでるが、営業してるようすが殆んど無し、ごく一部だけ、初詣など特定の時だけ営業してるのだろうか。参道を10分くらい歩いただろうか、石造りの仁王門がある、どうも自分には、馴染まない、寺か神社らしい門が自分的には好み、階段上がると直ぐに、御本殿(霊光殿)が、参拝する。

近代的だ、何か物足りない、旧御本殿があるのに気がついた、こうでなくては、七十七末社の始まりを上がって行く。千二百余年前に報恩大師によって開かれた旧御本殿を参拝。本殿周りの七十七末社に参拝。

七十七末社、あったのかな~

お土産屋さんの稲荷さん、ミッキーさんが何故かいる。

備中の旅 続きます。
メモ8月3日、4日と〇
材料、小海老、貝柱、シャコ、玉葱、ピーマン、トマトピューレー、ニンニク、オリーブオイル、塩コショウです。ピューレー自体に味がついてるので、味付けは、気持ちだけ。



カヤツリグサは、シロのお気に入りみたい、食事の前に、よく舐める。昼は木陰でだらけてるが、夕方、涼しくなると、キリリとしている。



夕暮れ時、蝉が3尾いた、アブラゼミとクマゼミ。自分の子供の頃は、小さいニイニイゼミが沢山鳴いてたが、自分の地域では全然見なくなった、温暖化のせいだろうか。



シロのトイレに、河川敷で採ってもよい砂を入れた、コレで、ウ〇チも処分しやすくなり、清潔になるだろう。
早速、喜んでいるようだ いつも「後始末は、キチンと」しているな~!笑。見習わなくては、
後で掘り出し、畑に埋めている 汗



ーーーー
豊臣秀吉が3万の大軍で攻めた、備中高松城跡を見に行こうと、車を走らせていると、デカイ鳥居があった。自称、日本三大稲荷と下にある案内板に書いてあった。備中高松城跡を見た後に行ってみよう。
高松城は、秀吉が水攻め中に、信長が本能寺の変で殺され「中国の大返し」をした城です。城主 清水宗治は、城兵の命と引き換えに切腹しました。



備中高松城跡は、自分の想像してたのとは、大きく違ってました、石垣が見当たりませんでした。石垣は築かれず土塁によって築城されていたそうです。城跡周りには、蓮池があり、ハスの花の蕾みはたくさん、



蓮花は、

中央の黄色の部分は、花床(かしょう)花托(かたく)頭花の、小花をつけるところ
咲き誇っていたよ。

蕾みの写真に、ボンヤリと写ってる、小さな橋を渡ると
「浮世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して」
の、辞世の句を残し、3000名あまりの城兵の命と引き換えに自害した、高松城の城主、清水宗治の首塚があった。城跡をでると、遠くに最上稲荷鳥居がみえる。蓮池には花床の残骸がたくさん。



備中高松城跡から

同名 四国の高松城(玉藻公園) に、行ったことあります。
車で5分位かな、最上稲荷に着いた。駐車場は広いのがアチコチにあるが、がらがらだった月曜日だからだろうか。ここは日本三大稲荷だそうだが、後で、ウィキペディア調べたら三大稲荷は、たくさんあった、地方地方で決めてるからだ。 でも、此処は岡山で一番参拝者が多く、初詣では、駐車待ちが数時間かかるそうだ。参道に入ると、両側に、プレハブのお土産屋さんが並んでるが、営業してるようすが殆んど無し、ごく一部だけ、初詣など特定の時だけ営業してるのだろうか。参道を10分くらい歩いただろうか、石造りの仁王門がある、どうも自分には、馴染まない、寺か神社らしい門が自分的には好み、階段上がると直ぐに、御本殿(霊光殿)が、参拝する。



近代的だ、何か物足りない、旧御本殿があるのに気がついた、こうでなくては、七十七末社の始まりを上がって行く。千二百余年前に報恩大師によって開かれた旧御本殿を参拝。本殿周りの七十七末社に参拝。



七十七末社、あったのかな~



お土産屋さんの稲荷さん、ミッキーさんが何故かいる。

備中の旅 続きます。
メモ8月3日、4日と〇